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2007.12.30(日)

 "music"のほうに新しい曲を追加しました。"gravity flow"という曲です。こちらからどうぞ。けっこう時間をかけて作ったせいか、なかなか胸キュンな感じになったと自負しています。曲の中程にある、YMOの曲をシミュレートしたようなシンセ・ソロが聴きどころかもしれません。良かったら聞いてみてください。


2007.12.24(月)

 おでんのような、具材の中にゆで卵を含む料理の場合、そのゆで卵をいつ食べるか、というのは非常に難しい問題だと思う。ゆで卵というのは、その味や外観、歯触りなどの点で他のちくわやはんぺんなどよりも優れている(ように思う)ため、おでんを食べるという目的が、いつの間にかゆで卵を食べる、という目的にすり替わっていることもあり、ゆで卵を食べる前と後ではモチベーションが大きく変化してしまうからである。

 そのように考えると、やはりゆで卵は食事の前半に食べるべきではないと思う。ゆで卵を前半に食べてしまった場合、おでんに対するモチベーションは大きく下がり、途中でおでんを食べることを放棄してしまう危険が高まってしまうのだ。目的はあくまで『おでんを最後まで食べきること』でなくてはならない。では、ゆで卵は一番最後まで残しておいて、最後に食べればよいのだろうか。これは別の意味で危険である。ゆで卵を最後まで取っておいた場合、周囲の人間に、「こいつ、ゆで卵のことしか考えてねえ」と悟られる可能性が高まる。『ゆで卵のことしか考えていない人間』と思われることは、もはや人間の尊厳に関わる問題である。これもまた危険だ。

 そこから考えるに、ゆで卵は食事の7〜8合目あたりでおもむろに食べるのが、最もクールでスマートではないかと思う。前半はゆで卵に対するモチベーションを維持しつつ、黙々とこんにゃくやら昆布やらを始末していく。そして後半をやや過ぎた辺りで、ゆで卵に手を伸ばし、しれっとした顔で平らげる。その後、ゆで卵を食べることのできた満足感に浸りつつ、しかしあくまでクールに残りの具材を片づけていく。これこそが大人のおでんの食べ方ではないだろうか。もっとも、こんなことを考えている時点で、クールもスマートもへったくれもないような気もするが。

…とこんなことを考えているうちに、もはや年の瀬。というか今日はクリスマス・イブ! 


2007.12.19(水)

 小学生の時だったか、今から10年以上前に、何かの本で、「これからは『競争』の時代から『共生』の時代に変わるだろう」といった内容の文章を読み、僕は「なるほどその通りだ。というか、そうあってほしいものだ」と子供心に思った記憶がある(僕はその頃から人と争うのが苦手だった)。それ以来、共生の時代に変わることを信じながら、相手が自分よりも先に進みたい場合は道を譲る、大福が5つあって相手が食べたそうな顔をしている場合は相手が3つ、自分は2つ食べる、などして10年ほど生きてきて最近ようやく気付いたのだけど、世界はちっともそのような共生の方向に流れていないのではなかろうか。少なくとも『格差社会』なんて言葉を聞くと、むしろ競争は激化しているような気さえする。そうだとすると、僕は10年以上の間、ベクトルを見誤っていたことになる。このことに対するつけはどこかで回ってくるんだろうか。あるいは、現在のこの状況は、つけが回ってきた結果なんだろうか。

 先日、とある会社を訪問し、そこの社長の方のお話を聞いたのだけど、その方が「『競争』から『共生』へ」と言っていたのを聞いて、ふとそんなことを考えた。


2007.12.6(木)

 例えば就職面接時に、「あなたが最近読んだ本で、印象に残ったものは何ですか?」と聞かれた場合に「はい、私は森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』と、長嶋有さんの『エロマンガ島の三人』が印象に残りました」と言うのはちょっと恥ずかしいし、そもそもこれでは何の自己PRにもなっていないので、この質問に答えられるような真面目な本を買う:

・『ロジカル・シンキング 論理的な思考と構成のスキル』(照屋華子・岡田恵子 著)

 昨年度にやっていた卒業研究の頃から論理的思考の重要性を痛感していたので、この本はまさに打ってつけである。序文にある、「誰でも必ず「論理的な伝え手」になれる」という言葉が心強い。内容はビジネス・パーソン向けなのだけど、就職活動、研究などにも簡単に応用できそうな点が素晴らしい。さらに言えば、著者があとがきで書いているように、生活全般で使える気がする。
 下手な就活本よりもよっぽど役に立ちそう。


(付記:長嶋有さんの『エロマンガ島の三人』はそれなりにちゃんとした小説です。)